A1 CLUB.NET Contents KE9V.NET

The Road Less Traveled「人の歩まぬ道」

原作:Jeff Davis KE9V

翻訳:Hiroto Tsukada JJ8KGZ

Bobはあなたが思い浮かべるようなアマチュア無線家とはかなり違う。

彼が79歳になった時、友人のほとんどはすでに他界していた。 彼は妻と共に、通りのつきあたりにあるその白くて古い大きな、築後50年の家にずっと住み続けているのだが、「古い」という言葉は、どちらかというとその家にはふさわしくなく、実際その家はとても見事にメンテナンスを繰り返されており、ミドルタウンに家を持っている者ならば、皆その彼の家を羨むくらいのものだ。

地元の無線家たちはBobの人となりをどのように判断したらよいのかわからなかった。 あらゆる面で彼は時代遅れであり、コンピュータも持たず、パケット通信などのデジタル通信には縁のない男だ。 以前アマチュア無線家たちが通信衛星を作ってそれを宇宙軌道上に乗せたというニュースを読んだときにも、Bobはそれを疑っていたし、なにせ彼は144MHz帯のハンディートランシーバーすら持ったことがない。 そうした事が、より彼を地元の無線クラブの会員達から疎遠にしている理由だった。

噂では、彼のシャック(無線室)にある装置は全て彼が自ら手作りした物ばかりであり、定かではないがBobは無線のためのマイクロフォンも持っていないと聞いていた。そんなある夜、私が80m(3.5MHz帯)でCQを出し、彼がそれに応答してきた時に、その噂の断片が真実であったことを知ることが出来たのだ。 彼との交信は楽しいものだった。 最後にはBobが、私の無線機の中でひとつ修理が必要な物があり、私にそれを彼のところへ持ってくるようにとまで申し出てくれて交信が終わった。彼との交信の最中に、私が自分のヒースキットHW-16の送信信号が歪んでしまう不具合さえなければ、自分はもっとCWを楽しめるのに…と言ったことがきっかけだったのである。

数日後、私はBobの住む場所に車で乗り付けた。
車から出る前に、私はしばし彼の家に見とれてしまった。それは昔ながらの美しいたたずまいの家で、今では誰もそのような家を建てることなどできないと思わせる程のものだった。冷たい秋の風を防ぐために私はコートの襟を立てて、小脇に自分の無線機を抱えながら彼の家の玄関のチャイムを鳴らした。そのフロントポーチのかたわらには、かぼちゃややひょうたん、とうもろこしの柄などが飾り付けられてあり、それらがカントリー風のその家にいっそう魅力的な雰囲気をかもし出していた。 Bobの妻のステラが玄関で私を迎え入れてくれ、キッチンを通って地下のシャックに続いている階段の所まで案内をしてくれた。

その時私はそのキッチンに漂っているシナモンとアップルのとても美味しそうな香りについて、何か彼女にコメントせずにはいられなかった。彼女は今ちょうどアップルサイダーを鍋で煮ているところだと言い、あとでそれをご馳走してくれるとのことだった。彼女のもてなしに感謝の言葉を述べて、私はボブに会うために、その地下に続いている階段を下りて行った。

階段を下りて見渡す彼のシャックの眺めは、私が思い描いていた通り、全てにおいて見事なものだった。片側に無線運用のための大きなメインテーブルがあり、その反対側には、計測機器や道具類が豊富に並んだ長い作業机がしつらえてあった。その上には24個の引き出しのついた小さなプラスチックキャビネットが何十も配置されており、それぞれの引き出しの中には夥しい数の部品や金具類が収まっている。

ボブは彼の方から自己紹介をし、私に持ってきた無線機を作業台の上に置くように言った。 冷え込んだ天気の話をしながら、彼は私のHW-16のカバーを外している。 私は整然と物が収納された彼のその見事なシャックを見まわすのに忙しかった。 そこには彼の一生を通じて集められた通信機器のコレクションと、それらにまつわる数々な思い出が、ぎっしりと詰まっているかのように見えた。 壁には戦艦ミズーリの大きな油絵が架かっており、その下には、若い20代の頃のボブが、戦艦ミズーリの船上でヘッドフォンをかけながら通信している1944年当時の写真が額に入れられて架かっている。 もう一方の壁は、数えるのに躊躇してしまうくらい多くのアワードや、彼の偉業を示す賞状で覆われており、その多くが遠く海外から送られて来たもののようだった。どうやらボブはかなり本格的な無線家らしい事が見てとれた。

「歩む者のない道」

黄色い森の中で道が二つに分かれていた
残念だが両方の道を進むわけにはいかない
一人で旅する私は、長い間そこにたたずみ
一方の道の先を見透かそうとした
その先は折れ、草むらの中に消えている

それから、もう一方の道を歩み始めた
一見同じようだがこちらの方がよさそうだ
なぜならこちらは草ぼうぼうで
誰かが通るのを待っていたから
本当は二つとも同じようなものだったけれど

あの朝、二つの道は同じように見えた
枯葉の上には足跡一つ見えなかった
あっちの道はまたの機会にしよう!
でも、道が先へ先へとつながることを知る私は
再び同じ道に戻ってくることはないだろうと思っていた

いま深いためいきとともに私はこれを告げる
ずっとずっと昔
森の中で道が二つに分かれていた。そして私は…
そして私は人があまり通っていない道を選んだ
そのためにどんなに大きな違いができたことか

(ロバート・フロスト,1916)

数分のうちにその老人は私の無線機の不具合を見つけた。ボブによると、電源回路のコンデンサの不良が、安定した電圧を供給しないために信号が歪んでしまっていたのだという。 彼が部品箱の引き出しを開けて代替の部品を探している時に、ステラが温かく湯気を上げるアップルサイダーを持ってシャックに入ってきた。

二人でそれをすすりながらボブと私は無線談義を楽しんだ。話しによるとこの老齢の友人は第二次世界大戦の前にアマチュア無線の免許を取得したという。戦争が終わってステラと結婚した後は、この家に引っ越して来て、その後40年間、電話会社に勤務しながらずっとこの家に住み続けている。彼がエクストラ級の免許を取った頃の話を始めた時、私は思い切って彼に、何故CW以外の他のモードで運用しないのかを聞いてみた。

「私はCWから無線を始めたんだよ。もっともその頃は経済的にもCW単一の無線機しか作ることは出来なかった。その後しばらくして他の近代的なオールモードのリグを持つくらいの余裕はできたが、自分で何故わざわざそうしたリグを持たなきゃならんのかと考えたのさ。」そう言って彼は話を続けた。「そりゃCWなんてのは、みんなの性に合っているものでもないがね。だが私はCWが楽しかった。そしてそれが、他人はあまり関心を持たず、しかも試そうともしない、しかし自分にはできる何か特別な物なのじゃないかと思ったのさ。」

「これを見てごらん。」
そう言ってボブは額に納められたロバート・フロストの詩を指差した。
それは「歩む者のない道」というタイトルの詩だった。

「まあ、君にとっちゃつまらない話しかも知れんがね。しかし50年前、私には高価な無線機を買う金など無かった。なんせ1950年までは新しい車を買う余裕すら無かったからね。だけど家に帰って自作の送信機に火を入れて電鍵を叩く。すると他の局は僕が貧しい男だなんてかけらも思わないんだよ。わかるだろう? CWというのは、君の肌の色がどうであろうと、どんな教会へ行ってようと、選挙で誰に投票しようと、そんなものは関係ない。CWは君が大卒なのか高校中退なのかなどにこだわりもしない。そしてCWは君に幾らの収入があるかなんて事は一切気にしないのさ。そんな理由から私がCWだけで運用する事は、自分でもそれほど奇妙な事だとは思わないがね。まあ、言うなればあまり人の歩まぬ道を選んだという事なのかも知れないな。」

「CWにはGood FISTと<*アメリカではCWを送信する技術が上手な事をGood Fists(良い拳)という*訳者注>、綺麗な信号を出す事だけが求められる。それだけだ。君がそれらを身に付ければ、大統領候補だって国王だって君のおしゃべりの相手をしてくれるのさ。」 そう云いながら彼はQSLカードが入ったスクラップブックを私に見せてくれた。そこにはK7UGA、故バリー・ゴールドウォーター氏(1964年共和党大統領候補)と JY1、故フセイン・ヨルダン国王の手書きの書簡が入っていた。そのスクラップブックには他にも沢山のQSLカード、写真、そして世界中の医師や弁護士、宇宙飛行士、科学者などからの個人的な手紙が入っており、それは全て、この素朴な老人と、無線とモールスコードの楽しさを共有した人々からの物だった。

アップルサイダーを飲み終わる頃、私は彼にどんな話をしたら良いのか考えていた。その夜、彼と実際に逢って見聞きしたことで、今まで彼が144MHZ のハンディートランシーバーやコンピュータさえ持たないことを理由に、私たち仲間が彼を変わり者扱いしていた事がとんでもなく愚かな事だったという事を感じたのだ。そして本当は、愚かなのは自分の方なのだと思った。 そんな私のその場の気まずさを打ち破ったのはボブの一言だった。

   

「さあ、これで君のリグも直ったことだし…ここでひとつどうだい、二人でこれから定時交信を組んでみないか? そうすれば、君の送信速度を上げる練習にもなるだろう? やってみる気はあるかね?」

その事がきっかけとなり、ボブと私は毎週木曜日の夜に定時交信を持つようになった。それはその後何年も続き、ボブがサイレントキー<*無線家が他界する事>になるまで続いたのだ。

ボブの死後、私はそれまで持っていた他のリグを全て売り払ってしまった。  現在、自分のシャックにある無線機は、私が自らの手で組み立てた無線機がひとつだけだ。そして私はもっぱらQRPのCWだけを運用している。 だが、木曜日の夜だけは、そのボブに修理してもらったHW-16に火を入れ、夜遅くまで電鍵を叩くのだ。

木の葉が散り始め、風が冷たく感じてくる季節。妻が私のシャックに温かなアップルサイダーを運んでくれる。そして私は、今は私のオペレーションデスクの壁に架かっている、あの戦艦ミズーリの油絵を観て思いを馳せるのである。

あなたはこんな私に「君も人の歩まぬ道を選んだね」と仰るかもしれない。

それを私は喜んでいるのです。


A1 CLUB.NET

Copyright 2001 Jeff Davis, KE9V All Rights Reserved
May Not Be Reproduced in Any Form Without Written Permission

KE9V.NET